人と自分はちがう
くらべることはない
自分の花を咲かそう
自分の光を放とう
覚法寺だより 第63号
各地から初雪や初冠雪のたよりが届くころとなり、木々も色付き始め今年も残すところ二ヶ月をきりました。皆さまいかがお過ごしですか。
覚法寺では、島根の覚法寺の報恩講を先月22日にお勤めさせていただきました。東京分院では、今月18日にお勤めさせていただきます。浄土真宗の門徒にとって、最も大切な親鸞聖人のご命日法要です。聖人90年のご生涯に思いを致し、そのご恩徳に報謝する尊いご縁です。万障お繰り合わせの上お参りください。
さて、今月の法語をごらんになって昨年解散したSMAPが歌ったヒット曲「世界にひとつだけの花」の歌詞を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。それもそのはず、作詞作曲した槇原敬之さんは、縁あって仏教に触れて感銘を受け、仏説阿弥陀経に説かれる「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」(極楽世界の池の中には車輪のように大きな蓮の花があって、青い花は青い光を黄色い花は黄色い光を赤い花は赤い光を白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかである。)の一節がきっかけとなってこの歌を作られたそうです。
私たちは、何事も他と比べて判断する癖を持っています。その基準とは何でしょうか。例えば、食べ物の好き嫌いを見ても自分の口に合うかどうかで、美味しい美味しくないと分け、大切ないのちを頂いていることを忘れています。また、自分に好くしてくれる人はいい人で、自分に反発する人は嫌いといったように、どこまでも自分の都合を基準にしています。そして、人と自分を比べることによって、自分の方が優れているときは優越感を持ち誇ってみたり、劣っているときは劣等感をいだき妬んでみたり一喜一憂しているありかたは、まさに自分を見失っているということなのでしょう。
阿弥陀様は、そんな私に比べる必要のない世界を知らせ、たとえ自己中心的なあり方はいのち尽きるまで変わらなくとも、少しでも阿弥陀様の願いを中心に生きる身にお育てくださるようです。それは「そのまま救う、安心してまかせよ」と「南無阿弥陀仏」のよび声となって届いてくださっているはたらきです.
合 掌
平成29年11月
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