覚法寺だより 第41号
元旦や
今日のいのちに
遇う不思議
木村 無相
光壽無量
皆様には、お元気にご越年のこととお慶び申し上げます。私たち覺法寺一同、おかげさまで新年を迎えさせていただくことができました。今年もどうぞ宜しくお願い致します。
大切な人と今生のお別れをされて迎える新年に、寂しさを感じ悲しみを新たにされる方もいらっしゃることでしょう。どうぞ悲しみのままにお念仏申しましょう。私たちは、いつでも(無量寿)どこでも(無量光)阿弥陀さまのお慈悲の真っ只中です。
ところで、皆さんはご自分のお念珠をお持ちでしょうか。
蓮如上人は、吉崎御坊に参詣する人々の中にお念珠を持たない人がいる様子をご覧になって、「お念珠を手に持っている人が少なく、まるで仏さまを手づかみにしている。親鸞聖人は、『数珠を捨てて仏を拝め』と仰せられたことはない。」(御文章)と戒めておられます。
お念珠は、仏前で合掌礼拝する際に必ず手に掛ける浄土真宗門徒にとって必要不可欠な法具のひとつです。お寺参り以外でも、例えば友人の家に遊びに行った時にお仏壇があったならば、最初にご挨拶いたします。いつ必要になるかわかりませんので常に携行されることをお勧めします。
さて、今月の法語は、念仏詩人として知られる木村無相さんの詩です。私たちは、何事にも慣れっこになってしまうと、それが当たり前であるかのように感じてしまいます。自分のいのちまでも「生きていて当たり前」だと感じてしまってはいないでしょうか。新年を迎えたところであらためて我がいのちの繋がりに思いを馳せることも大切なことと思います。父母から遡ると数えきれない先人方のいのちの流れの中にあり、多くの人たちに励まされ、叱られながら導かれ育まれてきたいのちです。また、数限りない他のいのちを頂きながら成長してきたこの身であることを忘れずにいたいと思います。
いま、このいのちは、様々なご縁に恵まれ、あらゆる他のいのちに支えられています。決して「生きていて当たり前」のいのちなどではない「有り難き」いのちであり「生かされている」いのちです。そして、手を合わせお念仏申す身に育てられてきたそこには、阿弥陀さまの願いが届けられていたことを忘れずにお聴聞の座に着かせていただきたいと思います。
覺法寺東京分院は、1月末に工事を終え、2月27日に竣工式を兼ねて昨年予定しておりました報恩講法要をお勤めいたします。是非、お参り下さい。
合 掌
平成28年1月
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