岩もあり 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流るる
甲斐和里子
覚法寺だより 第38号
お彼岸も過ぎて日も短くなり、秋らしさを感じられる頃となりました。今年も残すところ三月を切りましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
毎年10月から12月にかけて全国の本願寺派(西本願寺)のお寺では、報恩講(宗祖親鸞聖人の御命日法要)法要がお勤めされます(違う時期にお勤めされるお寺もあります)。本山での御正忌報恩講(毎年1月9日から16日)に先立ってお勤めされることから「お取り越し」とも呼ばれ一年で最も重要で丁重に勤められる行事です。
親鸞聖人のご生涯は、決して平坦なものではありませんでした。承安(じょうあん)3年(1173)に京都の日野の里でご誕生になり、9歳で出家・得度(とくど)をされ、比叡山で20年もの間、「生死いづべき道」を求めて厳しい修行と学問に励まれました。しかし、叡山では悟りに至る道を得ることができず、山を下り、本願念仏の教えを説かれていた法然聖人のもとを訪ねられたのです。専修念仏の教えによって目を開かれた聖人は、やがて法然聖人の主著である『選択本願念仏集』とご真影(しんねい)を写すことを許されるまでになり、その喜びを後に主著『教行信証』の最後に記されています。ところが、間もなく承元(じょうげん)の法難と呼ばれる念仏弾圧により親鸞聖人は越後に流罪となりましたが、越後の人々にお念仏を伝える大切な仏縁と受け止められたのです。やがて赦免になり関東へ移られてお念仏のみ教えを弘められました。63歳頃、京都にお戻りになられてからは、著述活動に励まれるのですが、実子善鸞様を義絶しなければならない大変辛い出来事もありました。そして、弘長(こうちょう)2年11月28日(新暦1263年1月16日)90歳で往生の素懐を遂げられたのです。
今月の法語は、広島県のお寺に生まれ、京都女子大の創設に尽力された甲斐和里子さんの歌を掲示させていただきました。様々な困難にも屈することなく一筋の道を歩まれた聖人の生きざまとともに、阿弥陀さまのお慈悲に支えられて生きる念仏者の柔らかさと力強さを感じます。
さて、覺法寺(島根)では今月18日に報恩講法要をお勤めいたします。また東京分院では、11月7日に予定しておりましたが、既にご案内の通り年内の行事は中止とさせていただいております。来年2月に新しい本堂でお勤めさせていただく予定です。詳細は、追ってお知らせ致します。
合 掌
平成27年10月
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