かなしきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす
親鸞聖人 正像末和讃
(悲嘆述懐)
覚法寺だより 第34号
梅雨入り前の暑い日が続く中、皆様、いかがお過ごしでしょうか。覚法寺東京分院では、5月27日に起工式をお勤めさせていただきました。炎天下、お参りくださった方、工事関係者、御仏前、御供をお届けくださった皆様に厚く御礼申し上げます。
この度、執行させていただきました起工式は、一般的に神事(仏事として勤める宗派もある)として勤められる地鎮祭と混同されるのですが、その意味合いは、全く異なります。地鎮祭は、地の神を鎮め土地利用の許しを請い、あるいは、土地を清めて工事の無事を祈願するものです。
浄土真宗における起工式は、お寺でも一般の住宅であっても建立する建物は、仏法聴聞の道場であり、縁が整い着工に至った慶びをともにし、完成に向け一丸となって尽力する思いを仏前に奉告する仏事です。
今月の法語は、親鸞聖人が撰述された「正像末和讃」から「愚禿悲嘆述懐」の一首です。日の良し悪しを気にして天の神、地の神を畏れ崇めて占いに頼り、祈りとお祓いを当てにする聖人ご在世当時の世相を嘆き悲しまれたものです。
天変地異を神の怒りと考えられていた時代とは全く異なる現代ですが、星占いや血液型による占いから、霊能者なる者による怪しげな言動が、マスコミによって垂れ流し状態です。これらによって、どの様な解決がもたらされるのでしょうか。益々、迷いを深めることにならなければよいのですが・・・
お釈迦様は「人生は苦なり」と、なにごとも自分の思い通りにならないことを明らかにされました。それは、「縁によって移り変わる」という普遍の道理に反して「このままであってほしい」と、とらわれしがみ付く私の有様なのです。親鸞聖人は、「念仏者は無碍(なにものにも妨げられない)の一道なり」とお示しくださいました。「どんなことがあろうとも決して見捨てない」と誓われた阿弥陀様の願いに支えられてお念仏申す人生は、自ら苦悩と向き合い、それを引き受け、乗り越えていくことのできる卜占祭祀無用の大道です。 合掌
平成27年6月
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