光壽無量
ひかりといのち きわみなき
阿弥陀ほとけを 仰がなん
しんじんのうた(正信偈意訳)
覚法寺だより 第29号
皆様には、お元気にご越年のこととお慶び申し上げます。覚法寺では、島根、東京それぞれに新年を迎え元旦会・修正会をお勤めさせていただきました。今年も宜しくお願い申し上げます。
今月の法語は、私たち浄土真宗門徒が、普段からお勤めしている正信偈(正しくは正信念仏偈)の意訳「しんじんのうた」の中から、正信偈の最初の二句「帰命無量寿如来・南無不可思議光」に相当するところです。すべてのものを救うと誓われた阿弥陀様の智慧と慈悲のはたらきを光と寿(いのち)として示されています。光に限りが有るならば、光の届かない場所にいる人は救いに気付かされることはありません。寿命に限りが有れば、いつか、救われない人がでてきます。「阿弥陀」とは、限り無いという意味で、阿弥陀様は、すべてのものを救うために、限りない光と寿の仏に成ることを誓われ、果てしない修行を成し遂げて「仏(真実の道理にに目覚めたるもの)」と成られました。
「南無」は、「おまかせします」という私の思い表明の言葉とされることもありますが、親鸞聖人は「安心してまかせよ。必ず救う」との阿弥陀様の喚び声(よびごえ)であると顕かにしてくださいました。南無阿弥陀仏は、こちらから阿弥陀様に救いを求めるよりも先に、私の迷いの姿を悲しみ慈しまれて、「放っておくわけにはいかない、救わずにはおれない」と、常にはたらき詰めの阿弥陀様の活動する相(すがた)にほかなりません。
「南無阿弥陀仏」は、僅か六文字ですが、そこには、阿弥陀様の智慧と慈悲の全てが込められており、私を救わずにはおられない親心のありったけが詰まっています。お念仏は、称えものではなく、阿弥陀様の願いの込められた聞きものであり、阿弥陀様そのもの声の仏さまなのです。
この一年もお聴聞させていただきたいと思います。覚法寺分院では、2月14日午後2時より定例法話会を3月21日午後1時より春季彼岸会をお勤め致します。ごいっしょに阿弥陀様の願いに耳を傾けてみませんか。皆様、お誘い合わせてお参りください。
合掌
平成27年1月
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