人間生活のすべてに
味を持たせるというのが
南無阿弥陀仏の働きである
金子
大榮
覚法寺だより 第27号
向寒のみぎり、皆様いかがお過ごしですか。島根の覚法寺では、先月19日、無事に報恩講を勤めさせていただきました。東京分院では、今月16日にお勤めさせていただきます。
浄土真宗の七高僧の第五祖、中国の善導大師は、「『経』というはたて糸なり。経(たて糸)よく緯(よこ糸)を持ち(たもち)て疋丈(ひつじょう)を成ずることを得」(観経疏・たて糸がよくよこ糸を保って布を織り上げることが出来る)とお示しくださいました。お釈迦様の教え(経)は、私たちの人生のたて糸であるということです。では、よこ糸は何かというと、生きていく上で身に受けること、体験し経験することと言えるでしょう。
どれだけ貴重な体験を重ねても、よこ糸だけでは布は織り上がりません。逆に、どれ程苦しく辛いことであっても、たて糸がしっかりしていることにより布は織り上がっていくのです。どの様なよこ糸も無駄になることはありません。必ず活かされてくるものです。
私たちは、自分にとって都合の好いことばかりを求め、都合の悪いことを避けようとしながら生きているのではないでしょうか。そして、思い通りにならずに腹を立てては苦しみを深めているのかもしれません。それは、あたかも、よこ糸だけで布を織ろうとしているようなものなのでしょう。
親鸞聖人は、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのことみなもってそらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄・わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである。)と、よこ糸に縛られ振り回されることなく確かなたて糸を拠りどころとして生きる道を90年のご生涯を懸けて明らかにしてくださいました。
報恩講は、親鸞聖人のご恩徳を報謝する大切な法要です。「明年の報恩講は期し難し」です。尊いみ教えを聞かせていただくことができる時は、そのうちではなく今しかありません。どうぞ皆様お誘い合わせてお参りくださいますようご案内申し上げます。 合掌
平成
26年 11月
1日
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