死してなお 親は子を育てる。
また 親なればこそ 亡き子に育てられる。
覚法寺だより 第24号
暑中お見舞い申し上げます。皆様お変わりございませんか。しばらくは暑い日が続きますのでどうぞご自愛ください。
よく「人間死んだらおしまい」と言う人がいますが、本当にそうなのでしょうか。以前に「死ねばゴミになる」と言った方もあります。先月のお便りにも書かせていただいた「0葬(ゼロソウ)」などは、まさにそういった感覚なのかもしれません。
しかし、親鸞聖人は、阿弥陀様のお育てにあずかって本願(私たちを救わずにおれないという大慈悲心に基づき起こされた根本の願い・成就しなければ自らも悟りを得ないと誓われているので誓願ともいう)を信じ、お念仏申す身とならせていただく者は、お浄土に往き生まれ、この上ない悟りを得させていただき、ただちに迷いの世界に還り来たって後に続く者を同じ悟りへと導き育てていくことをあきらかにしてくださいました。立教開宗の根本聖典「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」には、道綽禅師の安楽集の御文を引用され「先に生まれん人は後を導き、後に生まれん者は先を訪(とぶら)え」とお示しくださっています。
愛する者と別れることは、言葉にはできないほど辛く苦しいものです。その悲しみの奥底へ至り届いてくださるのが阿弥陀様のお心であり、お浄土に生まれた方のおはたらきなのです。阿弥陀様は、いつでも、どこでもごいっしょにいてくださいます。大切なあの方も、ともに寄り添っていてくださいます。そのお心を訪ねてまいりましょう。
分院でのお盆の法要は、既にお勤めさせていただいておりますが、今月の定例法話会は、8月のお盆の行事としてお勤めさせていただきます。先月お参りいただけなかった方も是非お参りください。また、島根の覚法寺では、8月21日にお盆法要をお勤めいたします。島根へ帰省される方やご旅行にお出かけの方は是非ご参拝ください。ご自宅でのお参りをご希望の方は、14日にまだ余裕がありますのでご相談ください。
合掌
平成26年8月1日
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