再びは通らぬ
一度きりの尊き道を
いま歩いている
榎本 栄一
覚法寺だより 第22号
間もなく入梅となりますが、5月末からまるで梅雨明け後の茹だるような暑さの日が続いています。水分補給を忘れずに体調管理にはご注意ください。
さて、本願寺では6月6日法統継承式(ほうとうけいしょうしき)が執り行われます。37年間浄土真宗本願寺派門主・本願寺住職として法統をお護りくださいました第24代即如ご門主さまが退任され第25代専如さまが法統を継承されて、新しい時代が始まります。
親鸞聖人以来、約800年脈々と伝えられてきたお念仏のみ教えは、どれだけ多くの方々によって護られてきたことでしょう。本願念仏のみ教えによって生き抜かれた先人方は、そのみ教えを次世代の子供たちに伝えるためにさまざまな努力をされてきました。とくに、家族揃って朝夕にお仏壇の前に座って正信偈のお勤めをする等の宗風は、ごく最近まで続けられてきたようです。もちろん今でも続けられているご家庭もあるでしょうが、核家族化が進むことによって急激に減ってしまったようでとても残念に思います。
即如ご門主さまは、門主としての最後のメッセージとして出版された「いまを生かされて」(文藝春秋)の中で「本願寺の住職になって30年以上になり、朝のお勤めは何千回と繰り返しているのですが、いまだに慣れるということがありません。」と述べておられます。
私たちは、なにごとに対しても慣れっこになってしまうことによってお座なりになり、いい加減に済ましてしまうようなことはないでしょうか。恵まれたいのちまで慣れっこになり「生きていて当たり前」ということになってしまっては、本当の生きる喜び、その尊さを見失ったまま空しくいのちを終えていくばかりだと思います。
お念仏に生きる人は、多くのいのちとのかかわりの中で、あらゆるいのちに支えられて生かされている「ご縁」を喜ぶことのできる身に育てられていくようです。ご一緒に阿弥陀様のみ教えを聞き、お経の練習などしてみませんか。お寺の行事は、どなたでもご参加いただけます。
合掌
平成26年6月1日
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