他人の問題には賢く振舞えても
自分の問題となると愚かさが出てくる
覚法寺だより 第21号
すがすがしい初夏の青空の下、ツツジやサツキの花が鮮やかに映えます。皆様いかがお過ごしでしょうか。ゴールデンウィークもあり、この時期にお出かけされるご予定の方も多いことでしょう。
先日、ある高校の遠足のバスの手配を忘れた旅行会社の社員が、生徒を装い自殺をほのめかして遠足中止を求める手紙を学校に届けていたことが報道されました。学校は、前日夜までに全校生徒の安否確認をしたうえで遠足の実施を決めました。ところが、当日朝、バスが来ず、遠足は延期されました。旅行会社の内部調査に対し社員は「バスは発注したつもりだったが、前日にミスに気付き、発覚を免れるために自分で虚偽の手紙を出した」と認めたとのこと。
この記事を読んで、最初に思ったことは「なんと愚かな」でした。「ミスに気付いた時に他に打つ手があったのでは」「チェック体制が機能していなかったのだから、あなたひとりの責任ではない」等、評論家的なことばかりです。
実は、私も航空券の日にちを間違えて手配購入したことがあります。間違いに気付いた時には血の気が引いて頭の中は真っ白状態、、代わりの便が空いていたので事なきを得ましたが、もし満席だったならばと考えるとぞっとします。
私という存在は、思いがけない状況下におかれたときに、自分を見失い突拍子もないことをし兼ねない危ういものなのでしょう。
私たちは、一人の例外もなく「生老病死」といういのちの大問題を抱えて生きています。自分では如何ともしがたい問題に直面し苦悩するものに阿弥陀さまは「決して見捨てはしない」と寄り添って歩んでくださいます。
今月は、親鸞聖人のお誕生月です。そのご生涯をかけて明らかにしてくださった南無阿弥陀仏のお心を一緒にお聴聞させていただきましょう。
合掌
平成26年5月1日
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