人の間違いや欠点を
きびしく見る眼で
自分が見えたら
いいですね
野田風雪師
覺法寺だより 第18号
まもなく暦の上では春を迎えるとはいえ、まだまだ寒さの厳しい中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。インフルエンザやノロウィルスの流行が伝えられています。どうぞご注意ください。
先日、社会人二年目の長女が「いまどきの中学生は」と、その騒がしさを非難するようなことを言いました。それを聞いた私は「自分のことは棚に上げてよく言うよ。」と言ったもののそういう自分こそどうだったのか思わず自問自答・・・決して褒められたものではありませんでした。
私たちは、自分のことは自分が一番よく分かっていると思いがちですが、さて、本当にそうなのでしょうか。分かっているつもりになっているだけで本当は分かっていないのかもしれません。自分の顔は、鏡に映さなければ見ることができないように自分の心も鏡が無いと分からないものなのではないでしょうか。
以前見た山崎豊子さん原作の映画「沈まぬ太陽」の中でとくに印象に残ったシーンがあります。主演の渡辺謙さんがニューヨークの「ブロンクス動物園」で「世界で一番危険な動物(The Most Dangerous Animal in The World )」という檻を覗くと、そこには鏡が設置してあり自分の姿が映っていたのです。
親鸞聖人は「さるべき業縁のもようさば、いかなるふるまいもすべし」と、自分は正しい、自分はあんなことはしないと思ってはいても、人は縁によって何をしでかすかわからない危うい存在であることを述べられています。
人の欠点やミスは目につきやすいものです。しかし、それを非難するだけでは、評論家になってしまいます。その視点を自らに転ずることこそ大切なことだと思います。そこに同じ人間としての痛みや共感、同じ目線で相手を思いやる心も育まれるのではないでしょうか。それは、仏さまからご覧になった私のありさま、煩悩に振り回されて自己中心的な生き方しかできない私を必ず救うとはたらいてくださる仏さまのお慈悲を仰ぐことによって培われていくものです。
ごいっしょにお聴聞しませんか。
合掌
平成26年2月1日
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