亡き人のためにお経をあげるのではなく
亡き人への慕情を通してお経の心をいただく
覚法寺だより 第12号
暑中お見舞い申し上げます。先月に引き続きお盆を迎えますので今月は、お盆の由来とその意義について書かせていただきます。
お盆は、『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんぎょう)』に説かれている目連尊者(もくれんそんじゃ・お釈迦様の十大弟子のひとり)とそのお母様とのお話に依ります。それは、神通第一と称された目連尊者が自分を生み育ててくださった亡き母のことを神通力で窺ってみたところ、なんと餓鬼道(がきどう・貪りの世界)に堕ちられて骨と皮だけの姿で苦しんでおられました。その様子を知って悲しまれた目連尊者は、鉢に盛ったご飯を差し上げるのですが、母がそれを食べようとするとたちまちに火となって燃えてしまいます。どうすることもできず悲しみに暮れた目連尊者は、お釈迦様に「どうしたら母を救うことができますか」とお尋ねになります。お釈迦様は「あなたの母の罪は深く、あなた一人の力で救うことはできません。衆僧(多くの僧)の威神力(絶大な力・本来は仏さまの不可思議なはたらき)によって救われます。7月15日に夏安居(げあんご・雨期に僧堂にて集団で修行)を終える衆僧に供養しなさい。」と説かれました。目連尊者が、そのお言葉通り衆僧に供養したところ、母は救われていったというお話です。
そこから7月15日に盂蘭盆会が勤められるようになり、今では新暦で7月15日に勤める地域や8月15日前後に勤めるところ、農繁期の関係で8月前半や後半の地域もあるようです。
ところで目連尊者の母は、どうして餓鬼道に赴かなければならなかったのでしょうか。また、お釈迦様はなぜ「あなたの母の罪は深い」とおっしゃったのでしょうか。
それは、母親なればこそとお聞かせいただいています。我が子可愛さのあまり知らず知らずのうちに他人を傷つけることもあったのでしょう。また、我が子のためならば餓鬼道に堕ちることも厭わないのが親であるともいえるでしょう。目連尊者は、自身の存在そのものが母を餓鬼道に赴かせたと思ったのかもしれません。良かれと思ってしたことでも他を傷つけ延いては自らを損ねることもあります。餓鬼道に向かう生き方をしているのは、誰のことでもなく私自身なのかもしれません。人に迷惑を掛けないよう心掛けることは、もちろん大切なことと思います。しかし、どうあっても人に迷惑を掛けずには生きられない我が身であることに気付かされることこそ大事だと思います。だって、係わり合い支え合っている生きるお互いですよね。
覚法寺東京分院では、8月11日午後2時から定例法話会を9月23日午後1時から秋季彼岸会をお勤めさせていただきます。皆様お誘い合わせてお参りください。また、ご自宅でのお盆のお参りをご希望の方、9月にお彼岸のお参りをご希望の方は、お電話にてご相談ください。
合掌
平成25年8月1日
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