わが愚かさを悲しむ人あり。
この人すでに愚者にあらず。
自らを知らずして、
賢しと称するは愚中の愚なり。
法句経第六十三偈
覺法寺便り 第6号
寒さ厳しき折、皆様いかがお過ごしでしょうか。もうしばらく寒さが続きそうです。どうぞ、ご自愛ください。
新年を迎えたと思ったら、あっという間に2月を迎えました。月日の移ろいだけではなく、齢を重ねるのも早く感じるようになりました。
先月、参加したある勉強会で、ご講師の先生(80代)が「齢をとると人間ができてくると思っていたが、そんなことはありません。齢をとるほど我が儘になり気も短くなる」とお話しくださいました。自身に引き当ててみると、確かにそんな気がします。自分のことは自分が一番よくわかっていると思っていますが、自分のことは意外とわからないもののようです。それは恰も自分の目で自分の目を見ることができないように・・・。
親鸞聖人の師であり浄土宗の開祖源空(法然)聖人は「浄土宗の人は愚者になりて往生す」とおっしゃいました。人々から智慧第一の法然坊とまで称され慕われた方が、自身を「愚者」とおっしゃたのは何故なのでしょう。仏教で言う「愚」とは、単に才知の働きの鈍いことではありません。煩悩に引きずられ振り回されて、どこまでも自己中心の生き方しかできず、真実の道理を知らない状態を「愚」と言うのです。
自分ではなかなか気付くことのできない愚かしさを知らせてくださるのは、阿弥陀さまの智慧の光です。見捨てることはできないというお慈悲の温もりなのです。「あなたを見捨てることができない。放っておくわけにはいかない。必ず救う。」という願いに出遇い気付かされることなのです。それは、私のありのままの姿を写し出す鏡といってもよいのかもしれません。ご一緒に阿弥陀さまの願いをお聴聞してみませんか。
覺法寺分院では、2月10日(日)午後2時より定例法話会を
3月20日(水・春分の日)午後1時よりお彼岸法要をお勤めします。どなたでもご自由にお参りいただけます。御予定の上、お誘い合わせてお参り下さいますようご案内申し上げます。 合掌
平成25年 2月 1日
覺 法 寺
今月の伝道掲示板
わが愚かさを悲しむ人あり。
この人すでに愚者にあらず。
自らを知らずして、賢しと称するは
愚中の愚なり。
法句経第六十三偈
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