のどかなり
願いなき身の
初詣で
覺法寺便り 第五号
新年明けましておめでとうございます。今年も覺法寺・東京分院ともども宜しくお願い申し上げます。
毎年、正月3ヶ日過ぎに、各地の神社仏閣の初詣の参拝者数が公表されます。多いところでは、300万人以上の人がお参りになるようです。初詣には、あちらこちらと回り御利益を求めて歩く人も多いようですし、まるで、投資の際のリスク分散に通ずるように思えます。以前、日本の宗教団体に属する人口の総数は、総人口をはるかに上回っていると聞きました。
「家内安全」「商売繁盛」「合格祈願」等、その内容は異なるかもしれませんが、どれも当事者にとっては切実な問題ですから、自身の努力だけではどうなるかわからないという思いはよく分かります。しかし、人間の欲望は尽きることを知りません。ひとつ満たされれば次の欲望が生じてきます。一つの欲望を満たす為に更に大きな欲望が生まれます。子供も大人も、地域社会も国も世界も欲望の充足に汲々としているように思えてなりません。その先は推して知るべしです。
お釈迦様は、「人生は『苦』なり」とお示しくださいました。それは、人生は「私」の思う通りにはならないということであります。たとえ思い通りになったとしても、それは、一時的なことでしかなく、やがて移り変わり終わってゆくことです。すべては移ろいゆくという諸行無常の道理に反して、いつまでもこの状態が続く、続いて欲しいという思いにとらわれて自ら苦しみを生み出し、深めているのが、私たちの姿なのではないでしょうか。
私の願いはどこまでも「煩悩」に根差した自己中心的なものです。自らの煩悩に振り回され苦しみを深めている自縄自縛の姿を阿弥陀様はあきらめることなく、見捨てることなく「必ず救う」と願い詰めです。
その昔、親鸞聖人の教えを大切にした近江商人は、商売繁盛の祈願のお参りをすることは無く、暇も惜しんで商売に励まれたそうです。しかし、毎月25日と28日には商売を休みお寺にお参りされたそうです。25日は源空(法然)聖人、28日は親鸞聖人の月命日です。そして、商売は儲けることを目的としたのではなく、生活できる程度の稼ぎがあればよく、薄利で、多く稼いだ分は仏さまへのお礼とされたと聞いたことがあります。
今月の法語にある「願いなき身」とは、人間としての願いが無いのではありません。煩悩の身として願いや欲望は尽きないかもしれませんが、阿弥陀様の願いに目覚めさせられ、自己中心性に気付かされたからには、迷いは阿弥陀様にまかせたままに自らの分を尽くさせていただくばかり、この上、何の不足があって仏様にお願いできましょうか。唯々お礼申すばかりです。とあじあわせていただいております。 合 掌
平成25年元旦
覺 法 寺
のどかなり
願いなき身の
初詣で
コメントをお書きください