眠れない人に夜は長く
疲れた人に道は遠い
正法を知らぬものには
生死の道のりは長い
法句経 第六十偈
覚法寺便り 第4号
今年も残すところあとひと月、例年より冬の訪れが早いように感じます。皆様いかがお過ごしですか。季節の移ろいと同じように、この一年を短かったと思ったり、長かったと感じたり、同じ一年でもそれぞれのご縁やその視点によって感じ方の違いもあるのでしょう。
皆さんは、小学生のころに遠足の前日に眠れなかったといった覚えはありませんか。私は、今でも似たようなことがあります。逆に、不安を抱えて眠れなかったという経験も有るのではないでしょうか? 同じ眠れないという状態でも、置かれている状況によって苦痛に感じたり感じなかったりします。或いは、旅行で目的地に向かって車を運転するのと帰り道を運転するのとでは、精神的に大きな違いがあるように思います。
私たちは、どこまでも自分の都合に振り回されているのではないでしょうか? 何事も自分の都合を優先し、自分の知識や経験が正しいと思い込み、それによって判断をしてはいないでしょうか。仏教では、それを「分別(ふんべつ)」と示し迷いであると説かれています。もちろんそれを全否定するつもりはありませんし、確かに大切な面もあると思います。しかし、どこまでも自己都合を根底とし、自縄自縛に陥る元であることを忘れてはならないと思います。
生まれてきたものは必ず死を迎えます。「生」と「死」がそれぞれ別に有るのではありません。「生」と「死」を自分の都合や知識で分別していませんか。表だけの紙、裏だけの硬貨って有りえませんよね。「生」と「死」の間の「と」は、抜けないものでしょうか。
この一年、苦しかったこと・楽しかったこと・辛かったこと・嬉しかったこと・悲しかったこと・いろいろあったけれど、ありがたいご縁であったと締めくくらせていただきたいと思うのです。
東京分院では、12月9日午後2時から今年最後の常例法座会を開催させていただきます。お誘い合わせてお参りください。 合掌
平成24年12月1日
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